砂漠で溺死

本と映画を、ネタバレ全開で書きます。

女性の作家について

ぼくは、どちらかというと女性作家の書いた本のほうが好きです。特に意識して区別しているわけじゃないのだけれど、好きな本を挙げてみると、女性作家のもののほうが圧倒的に多い。

なぜかはよくわからない。けど、自分なりに考えてみました。

 

これは多分に偏見も含まれていると思いますが、男性の作家の小説は、論理的な組み立てによってできたものが多い気がします。「これはこうだからこうなってこうなる」みたいな。それが悪いわけじゃないし、面白いものもたくさんある。けれど、私は、なんていうんでしょう、感情のうねりをそのまま文章にしたような、生きている新鮮な感情そのままを話のなかに閉じ込めたような小説のほうが好みなのです。そして、そういうものは女性が書いたもののなかに多くあるような気がします。女性のほうが、感情を豊かに表現できる方が多いのでしょうかね。それとも私が女性寄りの感性を持っているだけなのか……?

しかし、ぼくは以前から、女性作家の小説について思っていることがあります。

それは、女性作家の小説には女性性について書かれたものがすごく多いということです。性別を変えると話が成立しなくなるもの、「女とはこうである」みたいな、「女とは」がついたものがとても多いような気がします。少なくとも男性作家が男性性を意識して書いたものは、女性のものに比べると少ない気がする。

とにかくそれらの女性性を意識した作品は、女性であることの苦しみや喜びについて書かれたものがとても多い。おそらくそれだけ需要があるのでしょう。そしてそれが嫌だと言っているわけでは決してないのです。

しかし、それらを読んでいて、ぼくは少し寂しい気持ちになったりします。まるで一緒に遊ぼうと思って女の子たちに近づくと、「お前は入れてやんない」と言われ、のけ者にされてしまったような少年のような気持ちになります。いや、そもそも男のぼくが一緒に遊べると思うこと自体が傲慢なのかもしれませんが、それにしても彼女たちはとても楽しそうで、ぼくは遠くで砂場いじりでもしながらそれらをちらちらと窺い見ることしかできません。「別に男女いっしょに遊んだっていいじゃんか……」とかブツブツ文句言いながら。

でも、そこまで女性作家が女性性について書くのは、女性が社会の中でマイノリティーの立場にあるからなのかもしれません。女性だから感じた苦しみ悲しみが多いからこそ、それについて書かれたものも多くなる。男性にはわからない苦悩が、女性にはあるのかもしれません(ただぼくが鈍感なだけかもしれない)。そう思うと、女子会とか、「女子」でくくられたものがたくさんできるのが納得できます。それを逆手にとって女性の権利を必要以上に主張するのも良くないけれど、男性は女性の気持ちをできるだけ理解するよう努力して、なにより性別によって差別されることのない国になればいいですね。でもそうしたら、女性作家は減ってしまうのだろうか?うーん……。