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砂漠で溺死

「すごい自意識だなあ」と笑う自意識

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ

 

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 

 悪童日記。名前だけは聞いたことある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

日本で出版されたのは1991年。当時この本は絶大な反響を呼び、1990年代の海外文学作品の中で最も人気のある作品になったそうです。

読んでみると納得できます。この本、めちゃめちゃ面白い。

この本は第二次世界大戦中、〈大きな町〉から〈小さな町〉へ疎開してきた双子の少年が、祖母の家でさまざまな困難を乗り越えながらたくましく成長する物語です。……と書いても、それはあまり正確ではないでしょう。なぜなら主人公の双子が、あまりにもたくましく、賢すぎるからです。

彼らは、その内に独自の規範を抱えながら生活していきます。誰かに殴られたら、お互いの身体を殴り合い、痛みに慣れてしまう。断食の修行をして、飢餓にも慣れてしまう。乞食の気持ちを知るために、町で乞食の振りをして物をもらい、その後もらったものは捨ててしまう。すべて自己訓練なのです。そうして彼らは、その状況をどこか楽しんでさえいます。必要とあらばためらいなく人を殺すこともできる姿は、不気味です。

また彼らは、ものすごく頭がいい。神父を脅迫し、権力のあるものには恩を売り、そうやって微妙な人間関係をうまく利用して有利な立場に立ちます。「悪童」たちに翻弄される彼らの姿は滑稽であり、また痛快でもあります。

そもそも双子が書いた体験記の連なりとして書かれている文章は、いっさいの抒情性を排し、ただ事実のみを客観的に書くことに終始します。しかし文章から温かみが消えることはなく、情景がありありと浮かんでくるところから、著者の文章力がいかに卓越したものであるかがわかるでしょう。

著者であるアゴタ・クリストフは1935年にハンガリーで生まれ、1956年のハンガリー動乱の際に西側に亡命したそうです。そんな著者の体験が、この作品には色濃く投影されているように感じます。

ぼくが面白いと思ったのは、双子の、ドイツに対する見方です。戦時中ハンガリーはドイツに占領されおり、双子と祖母が住む家にもドイツの将校が出入りしていました。そして双子は、そんな将校のことを好意的に捉えているのです。実際お互いに仲良くなり、毛布を貸してくれたり、将校が借りていた部屋のベッドに寝かせてくれたりもしてくれます。ドイツ人のことを、自国を占領していたのにもかかわらず、双子は良い存在として書いています。一方、ナチスが撤退した後にやってくるソ連軍は女性を強姦したり土地を売ることを強要したりと、悪い存在として書いています。

ぼくはそれまで、ナチスドイツ=悪という考えがどうしてもあったのですが、ここではそういった安易で二元的な決めつけはしていません。なんというか、集団と個人を結び付けてはいけないのだなあ、と感じました。ナチスがやったことはまったく許されないこともあるけれど、一方で中には人間味あふれる人たちもいたことを忘れちゃダメですね。

この物語は三部作で、『ふたりの証拠』『第三の嘘』と話が続いていくのを読み終わって初めて知りました。双子はどうなってしまうのでしょう……。楽しみです。