砂漠で溺死

本と映画を、ネタバレ全開で書きます。

比留間久夫『yes・yes・yes』

 

Yes・yes・yes (河出文庫)

Yes・yes・yes (河出文庫)

 

 「読むといい」と言って、暗い目をした友達がこの本を貸してくれた。

男娼のことを書いていることくらいしかわからなくて、興味本位で、悪く言えば好奇心だけでページをめくり始めた。

しかし、はじめの「プロローグ」の何ページかを読み、皮膚の内側がぶるぶると震えるような、奇妙な興奮、恐怖がぼくを襲った。まるでいけないことが見つかった小学生のように、心臓が痛かった。

 

僕は歌を歌っていた。……そしてある日、とうとう何も歌えなくなっていた。僕の中に『歌』がないとはっきり気づいたからだ。幸福な日々の生活、理解のある親、口では貶しながらもどっぷり安住してしまっている学校生活……。たとえば僕は悲しみ一つを歌うにしても、ぼくのそれは嘘のように感じられた。だって実際、僕の中には悲しみなんて、これっぽっちもなかったのだから。嘆きも、願いも、怒りも、すべて、何もなかった。

主人公のジュンは、そんな自分を「破壊」するために、夜の街で身を売ることを決める。

小説を読んでいると、ときどき、「これは自分が書いているのではないか」と思うほど、自分と同じことを考えている文に出会う。

「ジュン」は紛れもなく、ぼく自身でもあった。うまく言えないけれど、これはぼくの物語であるのかもしれないのだと思った。

「ジュン」が抱えていた、空虚感という言葉では言い表せないほどの、どうしようもない空っぽな感じが、ぼくには痛いほどわかったのだ。自分の周りに膜があって、結局自分はその膜を通してしか世界と関わることができないのだというような、一種のあきらめ。自分が本当に生きているのだかわからないような倦怠感。

甘いとか、ガキだとか、そんなのはわかっていた。でも、「ジュン」は、この本の中でそんな自分を壊した。結果どうなったのかは別にしても、ジュンは自分を破壊して、一から作り直すほど、真面目に、真剣に生きようとしていた。

ぼくは、そんなジュンの残骸なのかもしれなかった。自分の中に何もないととっくにわかっていても、それをぶち壊す勇気はなかった。ぬるま湯の温度が気に食わなくても、いつまでも抜け出そうとはしなかった。臆病だった。

この本を読んで、「ああ、自分は、ただ寂しかっただけだったんだな」と思った。たくさん本を読んで、何かわかった風な口をきいていても、結局は、ぼくは自分というものを誰かに認めてほしかったのだ。自分の殻にこもって、そこからしか世界を覗かなかったくせに、そんな自分を誰か分かってもらいたくて、しかたなかったのだ。

この本を読んで、ある部分ではその願いは叶ったと思う。でも、同時にそんな自分のことをひどく惨めに感じた。ぼくはいつまで経ってもガキだった。一生懸命もがいていた気になっていたけれど、結局一歩も成長していないのだと、どうしようもなく突きつけられた。

 

本を閉じると、もうすぐ夜が明けようとしていた。ぼくは重くなった頭を抱えて、ベットに潜り込んだ。うっすらと白んできた空をぼんやりと眺めながら、次に目が覚めたとき、俺は変わっているだろうかと考えた。ちょっとくらいは、いままでと違う自分になっているのではないかと。

頭の奥で、誰かが笑ったような気がした。