砂漠で溺死

本と映画を、ネタバレ全開で書きます。

綿矢りさ『蹴りたい背中』

 

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

「さびしさは鳴る」

十七歳だったぼくは、この最初の一文を読んで震えました。

「そうか、さびしさは鳴るんだ!」と叫ばんばかりでした。

流れるような気持ちの良い文章で、書いたのが19歳の女子大学生で、そして何より、クラスに馴染めない女子高生という主人公に、ぼくは何より共感を覚えました。親近感といっていいかもしれません。

周りを軽蔑して強がっている主人公に親しみを感じ、でもそんな虚勢が本当は幼稚でかっこ悪いというのも心のどこかでわかっていて、そういうぼくをまるで全部わかっているような顔をしていたこの本が、ぼくは大好きでした。

「主人公の女の子の気持ちがこんなにわかるのはぼくだけだ」と誇らしく、二人(主人公とぼく)で周りの同級生を馬鹿にして、なんとか苦境を乗り越えようとしていました。今考えたらとてもばかばかしいのだけれど、その時は必死でした。今思えば、この小説がぼくの将来を動かした要因のひとつであると言っても過言ではありません。

 

クラスに馴染めず暗い高校生活を送ったそんなぼくは、数年後、『蹴りたい背中』を読み返してみたのでした。さながらかつての親友に会う時のような期待。

「よお、どうしてたの?ひさしぶりじゃん」と、気軽にお互いの肩を叩きあうような気持でページをめくりました。

しかし、どうしたのでしょう。読んでも読んでも、かつてのような興奮は得られない。心に響いてこない、セリフが、どこかよそよそしい。親友はどうしてもぼくに目を合わせてくれない。なあ、ちょっと、ぼくを見てくれ、話をしてくれ!

 

いや、これは違います。変わったのはぼくのほうです。それは明らかです。

あんなにつらくて苦しかった高校生活も、何年か経てば「まあ、そんなこともあったよね」で済んでしまいます。だんだん色彩の薄い思い出の層の中に取り込まれて、あと10年もすれば薄ぼんやりとしか思い出せなくなるのでしょう。

苦しい戦いをともに乗り切った戦友だけがいつまでも物語の中で戦い続けていて、ぼくは彼女のことを見捨てたような、どこか後ろめたい気持ちに襲われるのでした。

 

それでも、ぼくは学校や会社でうまくいってない人にこの本をおすすめします。

自分の気持ちをわかってくれる人が一人でもいるっていうのは、すごく大きなことだと思います。そしてそれは、必ずしも生身の人間でなくてもいいと思います。それで苦しみがちょっとでも減るんだったら関係ないですよ。

ひとりぼっちで惨めな自分を否定しようとしている女の子、に共感して物語に逃避していたぼくも間違いなく惨めで、ただ傷を舐めあっていただけかもしれないけれど、でもそうしてなんとか生き延びたのだから、まあ、それでもいいんじゃないですか。

かっこ悪く周りの悪口言いながらでもなんとかやり過ごしましょうよ。そんで楽になったら「そんなこともあったね」って笑いましょう。たぶん主人公の女の子も許してくれます。背中蹴られるかもしんないけど。