砂漠で溺死

本と映画を、ネタバレ全開で書きます。

太宰がドッキリしかけられたら……|太宰治『きりぎりす』

 

きりぎりす (新潮文庫)

きりぎりす (新潮文庫)

 

 太宰治は、笑える。「人間失格」とかカフカの「変身」とか、あれはコメディだよねとか言う人もいるけれど、それは作者の意図と反しているか否かわからないので純粋には首肯しかねるが、少なくともこの本の中のいくつかの作品は、完全にウケを狙って書かれているのがわかる。とくに「畜犬談」なんて爆笑。コントみたいで、でも最後はなんか感動したりして、よくこんなの書けるよなといまさらながら感心。

でも、笑いと狂気はやっぱり表裏一体で、見方をちょっと変えればどちらにもなりうる。前から思っているのだけれど、バラエティ番組とかでやっている、ドッキリ、私はあれで笑えない。おもしろさはわかるのだけれど、人が熱湯に浸かったり落とし穴に落ちて仰天している姿を見ると、どうしても笑えない。あれは、人の失敗を見て優越感を感じることが前提の笑いなのではないか。

でも、と、そのあとすぐに思う。そんなことを言ったら笑いなんてみんなそんなもんじゃないか、お前は落とし穴に落ちる人を見て嬉しがる人たちに眉をひそめているが、お前の中に、他人を嘲る心が少しでもないと言うのか。だとしたら堂々と笑っている彼らの方が、まだまっとうなのではないのか。

頭の中にもやもやがたちこめるので、私は、すぐチャンネルを変える。問題から逃げる。太宰がドッキリしかけられたら、どうするのだろう。気づいていても自分から落とし穴に入るだろうな。そうして皆を喜ばせてから、泣きながら小説書くんだろうな。あれなんか、かっこよくないか、太宰。

 

7/3追記。個人的に気になった個所の引用。

「……彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺いたように思う。見なかった美しい散水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます」……見物の心理とは、そんなものではなかろうか。大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかもしれない。見てしまった空虚、見なかった焦燥不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮らして、死ぬるのではなかろうか。p215,「佐渡」より  

 

作家は、歩くように、 いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。……どこまで行ったら一休み出来るとか、これを一つ書いたら、当分、威張って怠けていてもいいとか、そんな事は、学校の試験勉強みたいで、ふざけた話だ。なめている。……「傑作」をせめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。p298,「風の便り」より